Vol.3 2020.05.05

せんむ初コラム

これを書くひと月ぐらい前に、うちのベースのよしくんから電話があった。


「あった」と言っても、言ってしまえば日常茶飯事で、向こうは特に気を使わずにかけてくる。


上名(関東出身のおれとよしくんの間では、状況ならぬ名古屋に上陸した事で「上名」と呼んでいる。そこに加わっ(てしまっ)たのがいすいさん。)当時、会社の定休日を主に月曜日にした事から、おれは仕事も音楽もシャットダウンし数少ない日常を楽しんでいるんだけど、それでもかけてくる。


2人で店をやっていた時に、それはもう頻繁にかかってくるのは最早日常茶飯事。


話はズレたが、その先日のよしくんからの電話。
「公式ホームページを制作したい。その中にコラムとかあったらどうかなあ。」
と言った内容。


よしくんは上名以前から、特にApple製品に特化したパソコンのの知識量を誇るヒトであり、それはiPhoneやその他製品から内部のhtml言語などにも及ぶゆえ、おれ個人的によしくんの事を、「別名:アップル先生」と呼ぶ事がある。
活発なバンド活動の傍ら、自宅に帰っては、コツコツそういったPCに関連する業務?勉強?を実践に紐づけて経験値をあげている。彼がいつまでも夜型から抜け出せないのはそういう事だ。

以前にGYB共通の友達と飲んだ時か、そこに特化した音楽関係者と話した時か、はたまた某情報サイトの管理を行うライターと会話していた時か、定かではないが、その会話の中に、

「よしくんこれは、どこぞの会社からヘッドハンティングされるぐらいのレベルでやれてる事ですからね!!」

と、高笑いを重ねながら言われていたのを覚えている。

つまり社会的に見ても、エンジニア界隈に従事してる人達との肩を並べられるぐらいの技術を持っているわけだから、そのくらいのことはむしろ見せつけるべきだと思い、制作に同意はした。
したと言っても、オレが何をするわけでなく、本人がその技術をもってして作るだけの話だから、オレがやれる事は、バンド活動をしてきた中で見てきたホームページの参考を伝えるぐらいなもんだった。

本人がある程度のフォーマットを固めた辺りで、更なる相談で「コラムを始めてみたいと思うんだけど、どうか?」ともらったのだが、

各ソロ時代、各々でブログを書いていた事もあったが、やっぱりいつしかやらなくなった。
当人も「そのくらいもやれないとダメだよ!」と、おれを含む当時在籍のアーティストたちにはよく𠮟咤してたけど、まさしくその通りだとも思う傍ら、なかなか当時の並行業務が並大抵のものではなかったので、オレもよしくんも流れは止まっていた。

言ってしまえばオレに至っては、当時応援してくれてた人には申し訳ないけども、そもそも「裏方業」を自分のものにしたくて一念発起したのもあり、店と当時の一大プロジェクトを離脱した時に、やるなら今だと精を出し動き出したわけだから、なかなかアーティスティックな事は筋が通らんとも思ってはいた。
自分の中での一つの決め事みたいな感じになっていた。

更に言えば、Twitterは相変わらずやってはいるし、演者としても裏方としても今のリアルな自分を呟いて更新はできているので、そこがフォーマットでいいんじゃないかという思いから、よしくんには「やらなくていいんじゃない?」と返した。そしたら本人も「じゃあナシでいいか…。」と返ってきた。


ホームページに関するオレらのやりとりはこの辺ぐらいで途切れた。


ある日の朝、シゴトの現場に向かいながら、何気なくTwitterをつらつらと眺めていたら、GYBファミリー(GYBのファンでいてくれているみんなの呼称)のTwitterから「コラム」という文字を拝見した。
今のご時世、主流となるものが「ブログ」なだけに、オレのフォロワーから「コラム」という文字を見ることはないと思っていた。


もしやっ!!と思い、このGYBの公式ホームページを開いたら…!!


始まってるではないか…。コラム。


あの「じゃあナシでいいか…。」は何だったんだ…。気付いたら始まってるそのコラムに、思わず爆笑してしまった。

まぁまぁまぁまぁ、特に「やらない」事に大きなこだわりがあるわけではないけども、記述した今までの経緯は全然意味のないものになるコトも、言ってしまえば、日常茶飯事だ。


よしくんとの出会いは、オレが27の時によしくんが17の時に出会っていて、かれこれもう12年になろうとしている。オレが何を考えてるか、向こうがわからないのと同じように、オレも本当にヤツが何を考えてるかわからない事が、未だにめっちゃある。
かれこれオレも、上名、つまり愛知に越してして5年目に突入した。正直越してきた時は本当に辛い事の連続だった。自分で飛び出してきたとは言っても、なかなかその当時の自分に自我があるかどうかで言えば、疑問に思う部分もある。

それでもここまで愛知での活動を続けてこれているのも、当時彼から背中を押されてオレのオリジナルを背負って始めたRyu Kuriyaというソロ活動。
そこから派生していろんな挑戦に精を出したコト。
それもこれも、オレには到底理解できない彼の「思考」に刺激を受けてきたからじゃないかとは思っている。


先述した内容とは隣接するが、2人で経営してた大須の店を辞めてから、良くも悪くもその彼の「思考」に寄りかかり過ぎていた自分に一括を入れるために、大須しか知らなかったオレが愛知のいろんな地に飛び出した。

そこから彼も車の免許を取り、自らが運転して色んなところに飛び出すようになった。
お互いが食い違う思考を持ち合わせる事によって刺激を受け、また一つ考え抜いての行動をみせる。
もしかしたらそれが飽きなくて、なんだかんだでここまでやってるのかなって、そう落とし込むようにしている。

そんなモンに振り回されるどころか、自ら足を突っ込んだ井水も、ぶっちゃけて言うとよくわからない。
まぁでも、それもこれも井水がわざわざこんなアクの強いフダツキを召集したんだから、それはそれでいっか!

と思うようにしている。


2012年にバンドをやめてからかれこれ8年。今後の人生においてバンドをやるなんて事、考えても想像もしてこなかっただけに、人生何が起きるかわからんですわ。
それもこれも、よしくんという理解できない人間と過ごしてて、飽きないからなのかもしれないね!


オレはオレの芯を持って、今後の人生を邁進するだけでござるよ。

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